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公開日:8/5/2026
味噌、醤油、ヨーグルト、チーズ、ワイン。「発酵食品」と聞いて思い浮かべるのは、こうした食品ではないでしょうか。ですが、私たちが毎朝口にしているコーヒーも、まぎれもない発酵食品の一つです。しかも「一部の変わった豆だけ」ではありません。ウォッシュドもナチュラルも、あなたが今飲んでいるコーヒーは、例外なく発酵の工程を通ってきています。
スペシャルティコーヒーロースターの私たちにとって、これは当たり前の前提です。ですが一般には「発酵コーヒー」がまるで最近生まれた特殊なジャンルのように語られがちで、その誤解が味の理解を遠ざけています。この記事では、James Hoffmann 氏が発酵コンサルタントの Lucia Solis 氏とグアテマラの精製所で撮影した解説(出典動画)をもとに、「なぜすべてのコーヒーは発酵しているのか」を、種子・ミューシレージ・微生物の視点から解き明かします。
話の出発点は、コーヒーという植物の特殊さにあります。多くの果物は甘い果肉そのものを食べますが、コーヒーチェリー(コーヒーの果実)で私たちが目当てにするのは、果肉ではなく中にある種子です。焙煎して挽き、お湯を通すあの「豆」は、植物学的には果実の種にあたります。
ここで問題になるのが水分です。収穫直後のコーヒーチェリーは、重量のおよそ50%が水分で占められています。この状態のまま長距離を輸送すればカビて腐ってしまうため、輸出前に種子を乾燥させて保存できる状態にしなければなりません。
ところが果肉を取り除くと、種子の表面にはミューシレージと呼ばれる、粘り気のある糖分に富んだ層が残ります。このネバネバした糖の層をそのままにして乾燥させると、defect(欠点)やカビの原因になります。つまりコーヒーは「収穫したら、まずこの糖の層をどう処理するか」という宿題を必ず抱えている作物なのです。そして、その宿題を解く主役こそが発酵です。
発酵を科学的に定義すると、「酵母や細菌などの微生物が、糖(炭水化物)を消費し、有機酸・アルコール・二酸化炭素・そして香りの分子(アロマ化合物)といった別の物質へと変換する過程」です。ヨーグルトも味噌もワインも、微生物が糖を食べて別のものに作り変えているという点で、原理は同じです。
ここで多くの人が引っかかるのが、「発酵」と「腐敗」の違いです。Lucia Solis 氏が明快に整理しているのは、両者はどちらも環境中の微生物による分解作用であり、決定的な違いは味の良し悪しそのものではなく「意図(intention)」にある、という点です。人が狙って、コントロールしながら微生物に働いてもらえば発酵。放置して制御を失えば腐敗。同じ微生物の営みでも、作り手が舵を握っているかどうかで呼び名が変わるわけです。
この視点はロースターにとって非常に腑に落ちるものです。私たちが良い豆に感じる「クリーンさ」や「果実感」は、生産者が発酵という現象を意図的に管理し、腐敗の一歩手前で見事に着地させた結果だからです。
意外に思われるかもしれませんが、コーヒーの精製工程は、そもそも風味を設計するために生まれたものではありません。 ミューシレージを効率よく取り除き、種子を安全に乾燥・輸送できるようにするための、きわめて機能的な手段として発達しました。
伝統的なウォッシュド(水洗式)を例にすると、流れはこうです。
ここでの発酵の目的は、あくまで「糖の層を微生物に食べさせて取り除く」こと。糖を残さず乾燥に持ち込むことで、defect やカビを防ぐ——それが第一の役割でした。豊かなフレーバーは、いわば長年その工程に「ついてきた」副産物だったのです。抽出以前の、豆そのものの味がどこで決まるかはコーヒーの味を決める7つの要因でも整理しています。
以上を踏まえると、いちばん大事な結論が見えてきます。世界中のスペシャルティコーヒーは、ほぼ例外なく発酵を経ています。 ウォッシュド、ナチュラル、ハニーといった精製方法の違いにかかわらず、環境中の微生物がミューシレージを分解する過程は必ず起きているからです。「発酵コーヒー」という言葉が、あたかも特殊な新ジャンルであるかのように使われるのは、この事実からすると奇妙なことなのです。
では、近年「新しい」のは何か。それは発酵という現象そのものではなく、その管理の仕方です。従来は現場に住み着いた無数の野生の微生物に「お任せ」だったところを、狙った微生物を意図的に加える(接種=inoculation)ことで、再現性の高い風味を設計する——ここが新しいのです。
James Hoffmann 氏らはこれを可視化するため、同じ収穫バッチを4つの処理に分けて比較しています。すべての豆を最初に水槽で比重選別(未熟・軽い豆を浮かせて除去)し、果肉除去したうえで、次の4通りに振り分けました。
処理 | 方法 | 狙い |
|---|---|---|
メカニカル | 機械式デミューシレージャー | 摩擦・大量の水・遠心力でミューシレージを削り取る。微生物の関与はほぼゼロ |
ワイルド | 環境中の微生物 | 自然界の酵母・細菌・菌類にまかせ、約48時間タンクで発酵 |
乳酸菌(LAB) | 乳酸菌を接種 | Lactobacillus を優勢にし、明るい酸を引き出す |
酵母 | 酵母を接種 | 特定の Saccharomyces 株で狙った風味を作り込む |
興味深いのは、微生物の関与をほぼゼロにしたメカニカル処理が存在すること。逆にいえば、それ以外の伝統的な処理はすべて発酵に依存しているという裏返しでもあります。
発酵まわりの言葉には、誤解や誇張が多く混ざっています。代表的なものを整理しておきます。
近年よく見る「アナエロビック・ファーメンテーション(嫌気性発酵)」という表記。実は発酵は定義上そもそも酸素のない状態(嫌気的)で進む代謝プロセスであり、「嫌気性の発酵」というのは科学的には重複——Lucia Solis 氏の言葉を借りれば「濡れた水(wet water)」と言っているようなものです。
さらに、密閉していない普通のコンクリートタンクであっても、発酵で発生する二酸化炭素が大気中の酸素を押しのけるため、溶存酸素はすぐに 2ppm を下回る低い水準まで落ちます。つまり、わざわざ「嫌気性」と名乗らなくても、発酵タンクの中は自然と酸素の乏しい環境になっているのです。実際には、この語は密閉容器での処理を指す言葉として使われることが多いものの、厳密には誤用に近い使われ方をしています。
イチゴやトロピカルフルーツなどの果実を一緒にタンクへ入れる手法は「コファーメンテーション(共発酵)」と呼ばれます。ポイントは、果実が発酵の燃料となる追加の糖と、野生の微生物の両方をタンクに持ち込むこと。あくまで発酵の一部として作用します。
一方、シナモンスティックや人工的なフレーバークリスタル(香料)のような、糖を伴わないものを加えるのは発酵ではなく「インフュージョン(香り付け)」です。糖がないので発酵の燃料にはならず、むしろ一部のスパイスは抗菌作用を持ち、微生物の活動を止めてしまうことすらあります。コーヒーがまるで人工的なキャンディのように強烈な香りを持つ場合、それは本物の果実による共発酵ではなく、香料の添加に由来していることが多い——この見分けは、豆を選ぶうえで知っておいて損はありません。
作り手にとって切実なのが「発酵をどこで止めるか」です。ここにも、伝統と現代の考え方の違いが表れます。
かつての「機能的」な基準では、ミューシレージが完全に除去された時点が終わりでした。判定には現場ならではの方法が使われます。手のひらで種子をこすり合わせると、糖が溶けきったときに砂利のようなキュッという摩擦音がするスクイークテスト。あるいはタンクに棒を挿し、種子の締まり具合を見るスティックテスト。道具に頼らない、経験に根ざした見極めです。
対して、風味を積極的に設計する現代のアプローチでは、あえて発酵を長く延ばし、生まれた風味の前駆体(フレーバー・プリカーサー)を種子に染み込ませる(マリネするような)狙いがあります。接触時間は短ければ12時間、長ければ100時間を超えることもあります。ここで Lucia Solis 氏が温度計や pH 計を使うのは、「ここで止める」という固定の終点を測るためというより、バッチごとの一貫性を保つための追跡パラメータとしての意味合いが強い、という点も実務的で示唆に富みます。
発酵を終えた種子は、いよいよ乾燥へ進みます。中米では、広いスペースと労働の都合から、コンクリートのパティオに種子を広げて乾かすのが一般的です。強い直射日光で生きた種子が過熱しないよう、黒いシェードネットを張って守ることもあります。
乾燥はおよそ10〜12日をかけ、約50%あった水分を、保存に適した10.5%前後まで落としていきます。この間、種子は**パーチメント(内果皮)**という保護層の内側で守られており、この層は輸出直前にドライミルで初めて脱穀されます。
そして忘れてはならないのが、James Hoffmann 氏が動画の最後で強調する事実です。パティオで乾いていく一粒一粒のチェリーは、そのすべてが人の手で摘まれたものだ、ということ。発酵という現象の背後には、膨大な人の労働が積み重なっています。一杯のクリーンなコーヒーは、微生物と、作り手の意図と、無数の手仕事の合作なのです。
要点を振り返ります。
次にコーヒーのパッケージで「Washed」「Natural」「Anaerobic」といった精製・発酵の表記を見かけたら、それは特別な一部ではなく、すべてのコーヒーが通ってきた発酵という営みの、管理の仕方の違いなのだと思い出してみてください。その解像度が上がると、豆選びはぐっと面白くなります。精製や品種を踏まえた具体的な選び方はコーヒー豆の選び方、味を左右する工程の全体像はコーヒーの味を決める7つの要因もあわせてどうぞ。